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 Far Cry 5をクリアした。例によってすっきりしない終わり方だったため、その気持ちを解消するためにもEDの真意を考察したいと思う。事前に述べておくと筆者がEDまでプレイしたFar Cryシリーズは2,3,4,5であり、他の外伝などはやっていない。

 EDについて考えていくとテーマについても気になり始める。今回は宗教がテーマであるが、それとは別のテーマを感じたためED同様テーマについても考察する。(今作の宗教に関する話はこのブログで分かりやすくまとまっている)
 

ず今回もマルチエンディングであり、以下の3つになる。
  • ED1. 隠しED (OPの手錠をかけない)
  • ED2. 立ち去り
  • ED3. 崩壊
どのEDでもジョセフの息の根を止めることはできない。これはもどかしい。

 ED3で起きたことを考えるとジョセフが言っていたことは正しかったのかもしれない。
しかしゲーム中ではカルトが引き起こした各住民の悲劇を知って、住民と共に戦ってジョセフを倒すことを目指してきたのだ。ジョセフに対しても天罰を下したくなる。例えばED3は「ジョセフを倒したけど、主人公は核シェルターの中で後悔するED」でもよかったのではないのかと。

 ここで前作のFar Cry 4では最後にパガンミンを仕留める選択肢があったにも関わらず、今回はないことに注目する(さらに言えば4ではレジスタンスの女性指導者を〇す選択肢すらあった)。
選択肢を与えないということは、ゲームはジョセフを全面肯定しているように見える。
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Far Cry 4の選択

 実はジョセフが「崩壊(核)」に備えること自体は間違ってはいなかったかもしれない。今回の舞台はまんま現代のように見えて、現代とは状況が違う部分がある。それは核戦争がいつ勃発してもおかしくない状況なのだ(これはダッチの島のレンジャーステーションにあるラジオの内容から判断した)。少なくとも私はED後までこの状況を知らなかったため、読者も知らなかった前提で話を進める。

 OPでプレイヤーがジョセフを逮捕しに来た時、恐らく世界は核戦争が起きるか起きないかの緊張状態である。それを知っていればジョセフが言う「崩壊」は現実味を帯び、プレイヤーも多少は罪悪感を感じたかもしれない。

 しかしプレイヤーにそれはほとんど知らされることがない(地域自体が電波・交通的に孤立状態で知る術がほとんどない?)。知らなければジョセフは(いますぐには)100%ありえないことを言っている変人として映る。つまりプレイヤーは100%自分が正しいと信じて、エデンズゲートと戦うことになる。


 一旦話を変えて、テーマについて考える。
 今回はソーシャルネットワークに関する要素が多い。例えばOPのスマホ動画らしきものやジョセフの放送、ゲームリリース前に公開された実写ドラマのブロガー等である。
特筆すべきはジョセフの放送であり、要約すると「SNSで満たされることばかり考えているがすぐそばには我々家族がいるじゃないか」的な内容である(この放送は何度も聞かされることになるので耳に残る)。
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冒頭のスマホ動画

 そしてふと今回のテーマの1つに「ソーシャルネット」があるんじゃないかと考える。それを強く感じたのがジョンとジョセフのセリフである。
 ジョンはプレイヤーに対して「お前の罪は憤怒だ」と言う。そしてジョセフは終盤に「君の罪は憤怒ではなく、君は自尊心を満たすためなら世界すら犠牲にする」と言う。これはSNSでよくある「正義を振りかざした人たち」なんじゃないか?

こじつけっぽいが他の2人にもこのテーマをあてはめられる。
・フェイスが言う楽園は荒らされていないコミュニティであり、それを壊した
・ジェイコブでは「繰り返しの攻撃によって、反射的に大切な人を傷つけることになる」を意味していた。

 しかし「ソーシャルネットワーク」は限定的すぎる。上記の話はそれこそ宗教でもあり得る話だ。ここでIGNの記事では「今回のコンセプトは『我々』対『彼ら』(us versus them)」と書かれていることを引用する。前述の内容も「ソーシャルネットワーク」よりも「『我々』対『彼ら』」の方がしっくりくる。

 今回は主人公の背景設定が一切なく、喋ることもない。キャラカスタムができることも考えると今回の主人公はプレイヤー自身かと思われる。そのため先ほどの『我々』も純粋にゲーム中キャラクターたちで完結せずに、「あなた自身」を含むはず。この場合、「ソーシャルネットワーク」の方がしっくりくるが、限定するには至らない。
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あなたの作ったキャラが指名手配される

とめに入る。
 今作のコンセプトは「『我々』対『彼ら』」ではあるが、個人的には「ソーシャルネットワーク」が1つのテーマになり得るとも考える。また『我々』の1人である主人公は正義を振りかざすが、実際には『彼ら』のジョセフが正しかった(だからどのEDでも生き残る)。

 「時には手を出さない方がいいこともある(Sometimes... it's best to leave well enough alone)」
ゲーム中に何度か(知る限りで3回)繰り返されるセリフであり、英語でも()内と似たような言い回しが繰り返される。
これも製作者が伝えたいことの1つなんじゃないか。「彼ら」にも「彼ら」の世界があるのだと。

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好きな一枚

追記
 ED3最後のバンカー内でジョセフが話すシーンは「ソーシャルネットワーク」というよりも「宗教」の方に近い(崩壊思想など)。気になるのはこのシーンで目を覚ますときのカメラワークや状況がゲーム冒頭でこのバンカーで目を覚ますときと似ている(手錠でつながれ椅子の配置が同じ)。
わざと似せているのは単純に工程を省くためか何かを暗示しているのかだろうか。後者は考え過ぎに思えるが、想像が膨らむ。